*過日、もうほとんど秋だってぇのに、パンツ一枚にティーシャーツという極めてラフなB-BOYスタイルで寝入っていたところ、どうも身体が痒くて痒くて何度も目を覚ました。蚊の野郎である。腕やら足を見やると、ものの見事にぷっくり腫れていてもっさ痒い、それだけならまだしも、寝惚けていたせいか完全に掻き壊し、うっすら血が滲んでいた。こんなんじゃあ到底寝れん、これは何かしらの痒み止めを処方するなどして落ち着かせんとあかんな、そう思ったたぬきは、半開きの目をこすりこすり、近所のコンビニエンスまでよろよろ歩いた。寝癖直すのんが面倒なので、久しぶりにニットキャップを被って。徒より詣でけり。
*そのコンビニ、家に近いこともあって、というかコンビニが近いことを狙って家を賃貸さしてもらってるんだけれども、まぁそれはどうでもよくって、そうコンビニ。もん凄く頻繁に来店するの。あれ、来店ってのは店側を一人称にとる単語か、んだらばこっちが一人称たる単語はなんだ。まぁそれはどうでもよくって、あんまり頻繁に行くもんだから、アルバイトの店員諸君に完全に顔を覚えられていて、さながら有名人、たまったもんじゃないんだけど、特に深夜、だいたい零時から五時くらいまでってのはシフトの層が薄いのか、アルバイターも四人くらいの顔ぶれしかおらず、もうさながら全員と顔馴染みな状態。だからってお互いシャイな若造同士、会話・雑談の類なんざは一切ないんだがしかし、一人だけ、その例外ってのがいるのである。
*その例外、その人は深夜シフト軍の中で唯一の年配風な女性であって、なんつうか少しくボーイッシュな、でも白髪混じりのヘヤースタイル、骨格が見て取れる感じに痩せ気味の体格で、たぬきは自分の中で勝手に「骸骨魔導」と呼んでいるんだが、これがまた妙に、というか過剰にフランクに話しかけてくる人物で、加えて、学生時代は絶賛慢研に所属しておりました、みたいな感じが顕著な喋り口調なもんで、こっちとしてもありがたいやらなんやらよう分からんの。で、まぁ要は痒み止めを求めて入店したら、そん時はその骸骨魔導のシフトだったの。
*んで、痒み止めを探して店内をほっつきほっつきしていたんだが、これがどうにも見当たらないの。虫除けスプレーやら所謂ベープの類は幾つか陳列されているのに、ムヒ、ウナコーワといった痒み止め、その気配が感じられないんである。あんれ〜、もしかしてそういうのんは入荷しない方針なのかしらん、参ったなぁ、頼むよ、と腕をポリポリとやりつつ粘っていたら、例の骸骨魔導がなにやら近づいてくる。明らかにたぬきの方に来る。競歩で。万引きでも疑われたんやろけ、って阿呆か、んなことするかい。と思ってたら、違った。
*ピースだったけ?と、おもむろに骸骨魔導。一寸、何の話だかようけ分からず、あ、おれ?みたいな抜けた返事をかますたぬき。よく見ると、骸骨魔導の手には、見たことない煙草の箱。これ、試供品なんだけど良かったらどうぞ、なんつって渡されたそれは、ピース・ブランドの新作で、ちょっと高級志向たる「ピース・インフィニティ」というやつであった。この頃、壮絶な金欠サバイバル生活だったたぬき、灰皿の中の半端に吸った煙草に再び火を点けるなどして日々をしのいでいたので、嬉しくって思わず涙目。しかもたぬきの吸う煙草まで覚えていやがる。その勢いで、ついつい訊いた。訊いてしまった。「なんかムヒみたいな、痒み止めみたいなんってありますかね?」
*そしたら骸骨魔導、ダムが決壊したのか喋る喋る。「え、痒み止め?蚊ぁか何かにやられたの?」「まぁ、蚊です。」「あら〜、窓開けてたんでしょう、駄目よぉちゃんと窓は閉めておかなきゃあ。どこやられたのよ、あ、頭?」「いや、それはその、単に寒いので帽子を」「あら、腕、やられちゃってるじゃないの。」「痒くて」「ちょっと待ってよね〜、あったかなぁ〜そういうの、あったような気がするな〜、凄く。あ、ベープみたいなんならあるんだけどねぇ〜ここに。」「あ、いやそういうんじゃ」「あ、これなんかどう?ってこれ、虫除けスプレーじゃない、あらやだ、もうホントに。しっかりしてよねもう。」「はは」「ちょっと、吉田くん(もう一人のシフトの若造の名前)!ムヒとかそういうのってウチあったっけかしら?」「ムヒ。いやぁ、そういうのは入荷してないですよ。」「あら、そうだったかしら、ごめんなさいねぇ〜、やっぱりないみたいねぇ、そういうのは。ホントにねぇ、そういうのもあったら良いんだけどねぇ。こればっかりは、あたしの力じゃなんともねぇ。」「はは、まぁ仕方な」「ごめんなさいね〜、あんまり掻かない方が身のためよ。あ、でもホラ、アレがあったじゃないのよ、そういえば。ちょっと待っててね。」で、出て来たのが、裏手の控え室にあったと思しきバイト連中用のウナコーワ。それを自ら勇んで腕に塗り塗りしてくれる骸骨魔導。腕がひんやり。ま、突っ込みどころがありすぎて完全に閉口したけども、これは結果オーライ、基本的には悪い人間じゃないと思うので、ここは甘んじて、感謝しておくとしよう。さて、用もなんとか済んだし帰ろっかねっと。
*まぁでも甘いよね、この骸骨魔導がそのまますんなり帰してくれる訳がない。たぬきがドアに向かい、外に出るかというギリギリの際まで「もうホントにね、そういう痒み止め?みたいなのもあったら便利よねぇ。」「はい」「ああいう虫ってホントにタチが悪いんだから、そうそうあたしもこないだデッカくやられてねぇ、ホラ、もう三日くらい前なのに、まだこんな痕に残っちゃって。やっぱり痒くても我慢して、あんまり掻いちゃったりしちゃっちゃぁ駄目ね。」「はは」「それにしても、まだこの時期にも出るなんて、蚊もなかなかタフだわよねぇ、参っちゃうわよね」「はは」などと愚にもつかないやり取りを強要されたのであった。こっちは煙草とウナコーワによって弱みを握られておるのであって、そう易々と逃げられるもんでもない。吉田のなんとも残念そうな視線も刺さる刺さる。結局、入店から退店まで、用事はたった一つだけだったのに30分くらいはかかったよね。もうありがたいやらなんやら。そんなわけで、その日は帰ったらばベッドで即死しいたしました。吽。